w3/ 和田純と教え子たち

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(前回からの続き)

Yゼミ池袋校もそこそこ大きな校舎だったよね

当時の池袋は、教室もでかいやつがたくさんありましたよね。本館だけではなく、隣のビルも使っていて、かなりの生徒数がいたことを記憶していますよ。

代々木本校以外の校舎には、なんかその校舎独特の雰囲気があった様な気がするな

大体、池袋にくる生徒は、西武線とか東武線などを使う生徒や、埼玉の奥の方からくる生徒が多かったですね。所沢とか飯能とか、熊谷あたりからも来てましたね。なかには茨城とか宇都宮あたりから来ていた生徒もいたなあ。

池袋というターミナル駅(当時は池袋は終着駅)という特徴があった様に思う。

そうそう。とりあえず、代々木のお祭り的な喧騒についていけない生徒が、池袋に流れていた感じがしますね。なので、かなり人懐っこい生徒がたくさんいた思い出があります。

あ、それは自分も強く感じたな。

彼らは大学に受かってからも、チューターやアルバイトで結構池袋に出入りしていましたよね。池袋校が縮小される前までは、チュータールームもかなりでかくて、いつも4~5人の教え子たちがいたので、よく空き時間に入り浸って雑談してましたね(笑) 

広いチュータールーム、あ~確かにかなり広かったね最初は

僕の旺文社から出した最初の単語集などは、彼らに校正など手伝ってもらった記憶があります。今でもFBなどでつながっている人が多いので、彼等の動向はいろいろとわかるんですけど、今や彼等もみんなアラフォーでいい大人です。何人ものお母さんになっている人もいて、本当に時の流れを痛感しますね。こちらも歳をとるわけです(笑)

教師という仕事はそういうものなんだろうね。

それにしてもジェイさんは変わらないですよね。FBにあがっている写真をみると、昔と全然かわらない。20年前とほとんど同じ。

ことはないと思うよ(笑)

僕もあまり変わらないとよく言われるのですが、ジェイさんこそですよ(笑)。 まあ、予備校講師は、普通のサラリーマンとか公務員とかとは違って、若い生徒を相手にしているので、それで若いんでしょうかね? とりあえず、精神年齢も若いので、みんな不気味なほど歳を感じさせないですよね(笑) 

不気味ね(笑) 不気味な人は確かにいるね。

ジェイさんもますますお元気で、ばりばりがんばって下さいね。

和田純一先生著作  まる覚え 古文文法ノート