少年時代に考えていたこと
・・・専門の化学を始めとして、多方面で活躍する能一先生の少年時代
能一さん、どんな少年だったの?
小学生のとき,将来の夢は学校の先生でした。
え、小学生の頃から!? その後は?
中学生のときの学校の先生は,”ただ教科書を読んでいるだけだな”と感じちゃって、先生への憧れという気持ちは薄れてしまって。。何というか、自分の知的好奇心を刺激してくれる魅力的な授業はなかったので。
そう感じたのは「そんな話は自分はもう知っている」とか?(笑)
(笑)実は、このとき,『知ったかぶり』と他の生徒から言われていて。。。。周りの生徒から、嫌味な奴だと思われていたみたい。
(大笑い) 中学では授業に物足りなさを感じていたわけだ。。知ったかぶりって言われてちょっと可哀想な感じがするけど。。
高校で出会った先生がすごかった
その後高校に進んでもやはり授業はつまらなかったの?
いや、高校ではとてもいい先生に出会って。
それは化学の先生?
いや、現代社会の先生
(笑)現代社会! 化学じゃないんだ。
高校生のときに出会った現代社会の先生がすごく知識が豊富で,こっちが何を言っても論破されてしまい。。。
その先生に議論をふっかけていた?
ええ(苦笑)
でも、その先生なんでも知っていて、本当に「すごいな~」と感じて
・・・・その先生のおかげで、再び “先生になりたい!” という強い思いを持つようになった。
現代社会を教えようと思ったの?
それが、社会科は,当時なり手が多くて・・・・・多分なれないだろうと思った。
その点、理科は,実験も面白そうだし,なりやすそうだった。
実験があるのが特徴だよね。他の科目は?
何が教えられるかを真剣に考えてみると。。まず数学が苦手なので,物理はダメ,生き物が嫌いなので,生物もダメ。
・・・・で,残ったのが化学。。。有機化学は面白いと思ったので,これを勉強してみるかとなった。
なるほど筋が通っている(笑)能一さん、車好きだよね。
かなり。・・・本当は,クルマが好きで,機械科で学び,エンジニアになりたかった。
でも、機械科には進まなかった。
やはり教師への夢もあったので、
機械科ではダメだったの?
機械科って数学の先生の免許しかとれなかった。数学は苦手だから(笑)
というわけで機械科は選ばなかった。
なるほど、合理的な判断だ。
とにかく先生になって,生徒と楽しく過ごしたかった。
だから化学科を選んだのは,先生になるための手段!
目的がはっきりしているね。
化学を本当に面白いと思うようになったのは,教師になってから。
じゃ、化学科を目指して猛勉強した?
いや、大学は推薦で行ったので,それほど勉強せず進学してしまい、そんなわけで大学で深い勉強ができなかったという後悔がある。
そういう自分の経験があるので、’生徒たちには高校時代にしっかり勉強して,大学で学んで欲しいという希望が強くある。
その当時は深い知識で物事を考えられなかった。
明治大学の工業化学科へ進学
理系の学部はやはり勉強が大変?
明治大学の工業化学科は楽だった。
楽だった? というと。
例えば、理科大は週に3回くらい実験がある?
なのに、明治は週1回。
・・・当時は,楽に大学で楽しむのが良い時代だった。
そういう結論か(笑)
続きは改めてまた聞こうかな。
西村能一先生の著作